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広島市内のシンボルとして親しまれている黄金山、この山の名前は古くは城山と呼ばれていました。現在テレビ塔のある山頂付近に城の主要な部分があり、室町時代には、府中の白井氏の支城で、後に大内氏に属し、さらに毛利氏の支配化になっています。広島湾内を一望できる山頂は戦において重要な地位をしめており、何度となく局地的な戦場ともなりました。厳島の合戦の前哨戦として行われた弘治元年(1555)7月、陶晴賢の武将三浦房清が攻めてきたとき、城将香川光影が防戦し、撃退したと伝えられています。
「黄金山」という名前の由来は、観音寺の山号が「黄金山」といったこと、このあたり一帯の麦畑が黄金色に輝いて見えたこと、夕日に黄金色に染まって見えたことなど様々です。地元の古老の中には白南天の木の根元を掘ると黄金が出るという伝説まで伝わっています。
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