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平和宣言![]() 広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
平 和 宣 言 人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから64年、どんな言葉を使っても言い尽せない被爆者の苦しみは今でも続いています。64年前の放射線が未(いま)だに身体を蝕(むしば)み、64年前の記憶が昨日のことのように蘇(よみがえ)り続けるからです。 (注)英語部分の訳は次のとおりです。 関連情報
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■平和宣言について 広島市が世界最初の原子爆弾の惨禍を経験し、2年目の昭和22年(1947年)に、永遠の平和を確立しようという広島市民の願いを全世界の人々に伝え、世界的行事の一つにまで発展させたいと念願して、平和祭が行われることになりました。 平和祭は、同年8月5日から3日間行われましたが、6日には現在の平和記念公園の広場で式典が開かれ、この中で初めての平和宣言が浜井信三市長によって読み上げられました。この時の平和宣言は、
このように戦争を否定し、平和を求める広島市民の心の底からの叫びが、一つの形となって表れました。 平和宣言は、広島市長が毎年8月6日の平和記念式典において発表していますが、その表現や内容には、その時代が反映されています。原水爆禁止の文字が平和宣言に初めて現れたのは、第1回原水爆禁止世界大会が開かれた翌年、昭和31年(1956年)の渡辺忠雄市長のときでした。また、戦後26年目の昭和46年(1971年)、山田節男市長は「次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育」を平和宣言に明示し、昭和57年(1982年)荒木武市長は、6月の第2回国連軍縮特別総会で提唱した平和のための世界的な都市連帯の呼びかけを、その年の平和宣言に取り入れました。今日では、この都市連帯の輪は、平和市長会議として世界119か国・地域の1,403都市(平成18年7月21日現在)に大きく広がっています。 平成3年(1991年)平岡敬市長は、「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人々に、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」と述べました。また、平成8年(1996年)の平和宣言では、包括的核実験禁止条約の合意が「核実験の全面禁止につながること」への期待を表明するとともに、被爆の実相を語り継ぎ、広く伝えていくために「平和文化の創造」と「被爆資料の集大成」を求めました。平成9年度の平和宣言では、核兵器のない世界を実現するために、日本政府に対して「「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力」を求めると同時に、私たちが言語・宗教・習俗などの違いをこえて世界の人々と率直な対話を進めることの必要性を訴えました。 平成11年(1999年)2月に就任した秋葉忠利市長は、同年の平和宣言で、被爆者が原爆の惨苦や絶望を乗り越え、ひたむきに核兵器の廃絶を訴え続けてきた足跡を称えた上で、核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪であるとの真実に基づき、核兵器を廃絶する強い意志を持つことが何よりも大切であることを訴えました。また、宣言の歴史で初めて「です・ます調」の文体を用いました。 平成12年(2000年)の平和宣言では、戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴えるとともに、広島が世界に和解を広める都市、科学技術を人間的目的に用いるモデル都市になりたいとの決意を表明しました。 平成13年(2001年)には、21世紀最初の平和宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、和解や人道を重視する勇気を持つよう訴えるとともに、広島を「人道都市」、「万人のための故郷」にしたいとの決意を表明しました。 平成14年(2002年)の平和宣言では、報復の連鎖や力の論理が蔓延する世界情勢を踏まえ、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造することを誓うとともに、時代への警鐘や広島の決意を表明し、とりわけアメリカ政府・国民に対し批判や要請を一歩進めるメッセージとしました。 平成15年(2003年)の平和宣言では、力の支配が蔓延する世界情勢を踏まえ、自国中心主義を押し進める米国の政策を強く批判するとともに、2005年のNPT再検討会議に向け、平和市長会議加盟都市に核兵器廃絶のための緊急行動を呼び掛けたほか、日本政府に対し、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする「新・非核三原則」を国是とするよう要求しました。 平成16年(2004年)の平和宣言では、被爆後75年目に当る2020年までに地球上から全ての核兵器を廃絶するために、2005年8月9日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」と位置付けて、被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及や被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開するとともに、NPT再検討会議に向け、「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴えました。 平成18年(2006年)の平和宣言では、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する」とした国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見から10周年を迎えたことを踏まえ、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」の第二期として位置付け展開するとともに、核保有国に対して、都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets(CANT))プロジェクト」に取り組むことを呼びかけました。 平成19年(2007年)の平和宣言では、「21世紀は市民の力で問題を解決できる時代」であるという時代認識を示すとともに、「少数の指導者たち」が「力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき」、人類を滅亡の危機に陥れている中、市民と共に都市が立ち上がり、民主的な政治や国際ルールなど人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしていることを世界の都市の事例を紹介しながら訴えました。 平成20年(2008年)の平和宣言では、まず、「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みと、世界の多数派が核兵器の廃絶を求めている事実を指摘しました。さらに、2020年までの核兵器廃絶に向けた道筋を示す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を紹介するとともに、相互理解と信頼にもとづく都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の重要性を訴えました。 ■平和宣言の歴史 平和宣言は、1947年(昭和22年)以来、1950年(昭和25年)を除き毎年8月6日に広島市長によって発表されてきました。主な年の特徴は次のとおりです。
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